推薦者一覧
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容 (@詩架)(1) 綺鱗舎(2)

オカワダアキナさんの推薦文一覧
小説に殴られる愉悦
興奮が、ずっと最後までつづく。書き手の熱量に殴られる。圧倒的な物語の力に唸りました。  
だなんて書くと、腰を据えて読まねば/集中できる時間を作らねばだなんて構えてしまって、買ったものの積ん読になってしまいがちだけど、『ともだちの国』は一度読み始めたら最後まで走り抜けてしまう小説です。物語にパワーがあって、そこに浸らせてもらえるのがただただ恍惚。読んでよかった。
稚児としての役割を負い、男性でありながら女子校舎に入れられた全は、肉体もこころも去勢されたような状態。彼の語る「国」の描写は淡々としてさえいるけれど凄絶です。ずしんと響く。
架空の国「飛鳥国」や超能力の設定はある種ファンタジーなのだけれど、小説の根底に流れ、引っ張っていくのは、どこまでもシンプルな「愛」のありようでしょう。人を愛することとは?自分を愛することとは?人と人、手を取り合って生きて行くことって?他者とかかわりあうことはどういう痛みが?全と昴の選択、ふたりの駆け抜けた物語をぜひ見届けてほしいです。
あとこんなこと言っていいのかなんですけど、全と昴の関係性、暮らしぶりにどきどきときめいたのです。口調や語り口が好きです。熱と質量ある物語を飽きさせない、愛ある人物造形と描写が、物語にすっとのめり込ませてくれます。至芸。
タイトルともだちの国
著者にゃんしー
価格600円
ジャンルJUNE
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ことばに揺さぶられる痛みと恍惚
冒頭の数行からあっというまに海へ引きずり込まれる感覚。凄い。ことばが静かに殴りかかってくる。ずしりと身体の奥へ沈むことばたちに、あっというまに物語の中へ連れ去られます。

烏丸、伊呂波、海沙貴、柳臣??4人の少年たちと水蓮博士。少年たちはかつて共に過ごして(過ごしたという記憶で)、いまは烏丸はひとりになっています。再会した水蓮博士のデータベースから伊呂波、海沙貴、柳臣の記録をたどること。その距離感はどうしたってかなしく感ぜられます。「覚えているかい?」というような呼びかけ、手紙やノート…。物語はつねに記憶、すなわち過去の幻影をたどり紡がれます。
しかしすべてははっきりとは断言されなくて、夢うつつのような筆致です。読み手の私はきょろきょろと辺りを見回します。これは誰のことばだろう、ここはどんな風景だろう、これは何を示唆しているのだろうか。それは小説の中で自覚的に迷子になる体験で、心もとなく、しかしどこか興奮していました。意図的に漢字をひらかれた文章は静謐で湿り気を帯び、記憶とそれにともなう痛みを揺さぶります。

小説の中で迷子になると、つい自分の個人的な記憶を重ねてしまいます。過ぎ去った日々の記憶にふと呼び戻される痛み。読む人によって想起されるものは異なるでしょう。もっと冷静な読み手であれば、まるでちがうことを読み解くのでしょう。私がぐずぐずと思い起こすことはまるで見当違いのような気もします。作者さんの真意とはかけ離れたものを見出してしまっている気もします。
けれどこの小説の静かな佇まいは、読み手のあらゆる想起を(いっそ妄想さえも)、許してくれている気がしました。滅んでゆく景色をただ滅んでゆくものとして描き、教訓も美醜すらも排除されています。ただ静かにことばは投げ出され、読者に委ねられている。そんなふうに思えました。

読み返すたびにちがう景色が広がり、痛みはえぐられます。からだの奥へ奥へと向かっていくことばを繰り返し読むのはヒリヒリする体験で、しかし快感です。
お守りのように自分の中にしまっておきたいことばや文がいくつもあって、そういう読み返し方は詩集や句集を手に取ったときと似ているかもしれません。オデッセイ。オデュッセイア。なるほど、読む人のこころをもまた長い放浪に連れ出してくれる、そういう小説でした。
タイトルLast odyssey
著者孤伏澤つたゐ
価格300円
ジャンルJUNE
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誰かを好きになること、幸福な追体験
作者である高梨來さんが、とても大切に愛情深く書かれたのが伝わってきます。BLといえばそうなのだけど、誰かを好きになることや寄り添い合うことのあたたかさが丁寧に描かれた、純度の高い青春ストーリー。キュンとしたりはらはらしたり、もだもだしたり。海吏と一緒に悩み惑うのはいっそ心地よくて、読書の醍醐味だなあなんて思ったり。
海吏のナイーブさ、祈吏のかわいさ(本当にかわいい!いっそとうとい!)、春馬くんの優しさ。キャラクターがとても魅力的で、10万字という長さを感じさせないテンポの良さです。会話のみずみずしさもそうですが、お洋服や食べ物などのディテールがかわいくて、素敵です。
私の最推しはマーティンです……!シベリアンハスキーのような瞳、という描写でもう好きに決まってるんですけど、ちょっとした会話や仕草にあらわれる優しさ、海吏へのまなざしがもう……!これ以上は私が言うのも野暮なので、ぜひ読んでください。
続編や掌編、あまぶんではポストカードSSも、彼らの物語はこれからも紡がれていきます。Twitterやブログでも、來さんから彼らのようすを聞かせていただけて、それらをリアルタイムで楽しめるのが読者としてとてもうれしいです。
タイトルジェミニとほうき星
著者高梨 來
価格800円
ジャンルJUNE
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ごはんをかこむ距離、愛情を咀嚼すること
丁寧に紡がれた関係性にあたたかな読後感を得たBL。テンポの良い若者たちの会話のリズムに乗って、すいすい読み進めました。
ゲイであるというコンプレックスを抱える周に対し、ぐいぐいと距離を縮める忍。忍くんのまっすぐな愛情、懐にするりと飛び込んでくるさまはとてもチャーミングです。

印象的だったのは食事のシーンです。ふたりは何度も食卓を囲みます。居酒屋で、アパートで。距離をはかりながら、秘密を打ち明けながら、少しずつ互いを受け入れ許すため、あるいはなんでもない朝や晩の営みとして。決して贅沢な食事ではないけれど、とても豊かな日々。
とくに周と忍が初めていっしょに食べる朝ごはん、忍がごはんをミネストローネに浸して食べるシーンがとても好き。周が世界に引いていた一線「灰色のゼリー」を、忍がやすやすと越えてくる印象的な描写です。

周の、自分は同性愛者であるという苦悩、それゆえの周囲への不信感もとても丁寧に描かれています。自分のうちにこもりがちな周ですが、じつは周囲の人たちはみんなあたたかい。友だち、バイト先の同僚、忍の友だち海吏くんや春馬くん、きっと周の実家の家族だって(方向性や種類は異なるとしても、周にとっては受け入れがたいとしても、受け入れないことを選択するとしても)愛情深いのではないか。
手を伸ばせば、心を開けば、あたたかな世界が広がっている。ただそれを無理にこじ開けようとするのでなく、周が忍とのやりとりを通して徐々に獲得していくのが素敵だなあと思いました。焦らなくていい、だめでも格好悪くても失敗しながらでもいい、不完全な若者同士が寄り添って、自分たちのペースでふたりだけの“生活”を手に入れる。その小さな達成にほろりとしました。

あとがき、後日談的な章、ペーパー、そしてweb等、周と忍の物語は続いていきます。幸せなこともそうでないことも、二人で紡いでいくのでしょう。物語を見届けたあとにそれを味わえるというのは、読者として幸福です。作り手とキャラクターが相思相愛であることが伝わってくる、愛情にあふれた作品です。
タイトルほどけない体温
著者高梨 來
価格900円
ジャンルJUNE
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よじれた思いを差し出し合うこと、青春ってそうだった
高校生の男の子たちの物語。BLといえばそうなのかもしれませんが、かれらがかれらの切実によって求め合うさまが丁寧に描かれており、物語の要請というよりかれらのいのちの帰結としてそうなったという感じ。三人は互いが互いの思いを受け取りあって、生きるための痛みを差し出しあって、戦うことへ向かっていく。三部作とのこと、ここから先を読むのがとても楽しみになる魅力的な人物造形と語りです。
主人公を取り巻く人間関係は、狭い町ゆえか人物の因縁といえるのか、濃く、閉じています。愛憎の絡まり合いはある種、ギリシャ神話的ともいえるかも。しかし登場人物たちはみなきちんと語ろうとし、関わり合おうとします。主人公の親世代たちはそれぞれ方法や発露のしかたは異なるものの、愛情深いと感じました。それこそが傷や痛みを生むのかもしれないけれど、しかし根底にあるのは人を愛したい愛されたいという願い/祈りでしょう。
丁寧に読者を導いてくれる語りは、痛みをともないつつもみずみずしく爽やかです。主人公の智尋は思慮深くナイーブな語り手で、ちょっとした気づきや思いのよじれの描写が巧みです。
読みながら深い水の中を潜り、自分の呼吸についても自覚的にならざるを得ないような、身体に響く読書体験でした。
タイトルミニチュアガーデン・イン・ブルー
著者キリチヒロ
価格600円
ジャンルJUNE
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"あの頃"から何億年? 記憶と再会する物語。
 子どもの頃と今の自分は、べつの世界を生きている気がします。知識を得、常識を覆し、かつて視えていたものを失う。誰かと出会い別れる。わたしたちは知らず革命し、変質してゆきます。

 烏丸、伊呂波、海沙貴、柳臣。『魚たちのH2O』は四人の少年たちと水蓮博士の物語です。学園は寮制で、ふたりずつルームメイト。四人は科学部というクラブ活動をともにしており、水蓮は顧問です。クラブといっても具体的な活動が決まっているわけではなくて、理科室でちょっとした観測をしたり夜に星を見上げたり、ときには水蓮にドライブに連れて行ってもらったり。ささやかなやりとりの繰り返しです。
 本作でえがかれる世界は、わたしたちの住む世界とは異なってみえます。「色覚の退化してしまった目」、「ぼくたちのH2Oは海水と癒着すれば溶けだしてしまう」。ずっと先、滅んでは生まれを繰り返した十億年後でしょうか。けれど隔りの手ざわりはさりげなく、学生時代の日記を読み返すような距離感。
 おとなしい子、不思議な子、活発な子、ケンカっぱやい子、イレギュラーな大人。「たがいにかくしておきたいものを探しあわないのは暗黙の了解だ」、「二人で歩いている沈黙がなんとなく気まずくて、わけもなくあやまってしまった」。わたしは男の子でもなかったし寮にいたこともなかったけれど、かつて一緒にいた友人たちのことを思い出しました。
 伊呂波は鍵やナットなど、なんでも食べてしまう。クラスでは、彼がオートマタなのではと噂されていて……。物語はひたひたと訣別へ向かいます。
 個人的には、この物語が烏丸の視点からえがかれていることがとても愛しく思えました。「ぼくはいつも、一拍遅い。」と心中で述べつつ、周囲をじっと見つめ、そうっと距離をはかってゆく。

 かけがえのない何かを交わした誰かや日々はたしかに何億年もむかしのことで、とっくに滅んでしまった。かさっと軽いグレーの紙に綴られた物語は幻想的な筆致で、忘れていたいろいろを優しく差し出してくれます。わたしたちはいつのまにか物語/記憶のなかにいて、自分や誰かと再会するのです。
 本作は『Last odyssey』と同じ登場人物で前日譚のような位置づけ。わたしは『Last〜』→『魚たち〜』の順で読みました。あらかじめコーダを知ったうえで聴くソナタは、たいへんきれいで切ない。
タイトル魚たちのH2O
著者孤伏澤つたゐ
価格800円
ジャンルJUNE
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ふつうとフシギが手をとりあう。恋ってそうだよなあ。
 ああ恋がこんなだったらいいのになあ、やっぱりラブストーリーが大好きだなあと抱きしめたくなる本です。とぼけたふうで少々毒もある洒落た会話に、クスッとしつつ、しんみりしつつ。
 本作は、大学職員の白鳥さんと、学生でモデルの雅人くんの恋のお話です。キャンパスや研究室の本棚、ドライブする高速道路などなど、物語でえがかれる風景はいつかのどこかで見覚えある場所ばかり…というのがキヨムさん作品のさりげなくかつ巧みなマジックだなあと思います。ふつうとフシギがするっと溶けあう。魔法使い、しゃべる猫、不思議な鏡。そして謎の媚薬(!)で白鳥さんは子どもになってしまい…? ドキドキする非日常たちはしかし穏やかに差し出されていて、心地良い。記憶や日常と、異界は地続きなんだなあ。
 白鳥さんが好きです。柔和で控えめ、教授曰く"癒される"、でも純粋無垢というわけではない。ちゃんとわがままも欲望もある成人男性です。登場人物たちが近づきあっていくさまがほんとうに愛しかった。手をとりあう。ためらう。ちょっと大胆になってみる。すれちがって、けれどおそるおそるふれあって…、恋する喜びを信じたくなりました。カモのチップちゃんの結末が、これから先のあたたかな未来を見晴るかすようでとても好きです。
 日常にそっと顔をだす異界へ、ふとしたきっかけや気持ちのありようでひょいと飛び込んでしまえるということ。ああそれって恋のことなんだなあ。小さなトゲも含めて、みまわす視界がちょっとだけ優しく/愛しくなれた気がしました。
タイトルよくないおしらせ
著者壬生キヨム
価格800円
ジャンルJUNE
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さわやかな足舐め、小粋な官能。 甥っ子にだめにされちゃう叔父さん!
 爪先へのキスは崇拝、足の甲へのキスは隷属だなんていいますが、ではくるぶしは…? ああ、「お世話」かもしれない。甘やかすことって、限りなく愛のある支配かもしれない。
 本作は、甥(高校生)×叔父(高校教師)のBL作品。綾瀬昭久は、少々ぼんやりした高校教師。勤め先の学校が女子高から共学にかわった年、入学してきた甥の大志にプロポーズされてしまいます。面食らう綾瀬をよそに、大志は綾瀬のアパートに押掛け、意気揚々とあれこれ身の回りの世話をするようになり…。
 年下攻めの魅力とはなんでしょう? まだまだ子どもだと思っていた攻めくんがすっかり「男」になっていて、ドギマギしてしまう受け…、成長ギャップにより展開されるドラマは、やはり醍醐味でしょう。しかも甥と叔父となると、叔父さんは甥っ子くんが赤ん坊の頃から知っているわけですから、ドキドキ倍付け!
 甥・大志は炊事洗濯掃除は完璧、背が高くて女子にもてる見た目、おまけに留学経験もあり勉強もできる高校生。叔父の綾瀬は終始たじたじです。
 大志のハイスペックにはわけがあります。10年前に一緒に出かけた山で、綾瀬は大志をかばって足に怪我を負ってしまった。綾瀬には後遺症が残り今も少々足をひきずるほど。大志は子どもながら「責任をとりたい」「傷をいたわりたい」と思うようになり、凛々しく成長したのです(ここの、大志が「いたわりたい」という気持ちに気づく描写・展開が秀逸です)。
 気持ちの根底に罪悪感があり、彼なりに乗り越えた先の「世話したい」、「甘やかしたい」。15歳の、タフさ、一途さ、執着。爽やかさと、ひとすじなわではいかない独占欲をあわせもつ魅力的なキャラクターです。彼の造形がそのまま本作をあらわしているように思えました。すがすがしく、フェティッシュ! 
 綾瀬の傷跡のあるくるぶしに大志がくちづけるシーンは、愛情とどこかほの暗さが宿り、ドキドキです。酒に酔った綾瀬の嘔吐を世話するシーンもたまらない。綾瀬は大志の気持ちにこたえられるのか、「世話される」ことを受け入れられるのか…。
 リリカルな文章とすっきりした構成が、作品全体のトーンをあくまで明るく仕立ててあり、すがすがしく?足舐め?世界に浸れます。まゆみさん作品は引き算がとても小粋だなあといつも感嘆しています。爽やかと官能のバランスが絶妙でおすすめです。
タイトルくるぶしにくちづけ
著者まゆみ亜紀
価格600円
ジャンルJUNE
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叔父さんに求めた 「私の観察」。 秘密の恋は、やがて生活へ羽ばたく。
 幼い頃に変質者に遭ったことをきっかけに、自分の身体はおかしいのではないかと不安を抱える少女・橙。「おとなしく、ひっそりと、目立たぬように」大人になろうとします。昆虫写真家兼ライターの叔父・要を手伝いつつ、叔父のアパートを隠れ家のようにして過ごす「蛹」の日々。変わり者の叔父は、橙にとって心の拠り所となります。橙はボディチェックと称して自分の身体におかしなところがないか、裸になって叔父に見てもらうようになりますが…。
 元気の出る恋愛小説です。と言ってしまうと簡単すぎるかもしれません。しなやかで、したたかで、いそうでいないヒロイン・橙がとっても魅力的です。
 作者のまるた曜子さんは自身の作品群を「生活密着恋愛小説」と紹介されていますが、まさに?生活?。キャラクターや会話がみずみずしくて、もしかしたらこんなひとたちがすぐ隣にいるかもと思える(いやなかなかいないんだけど、いてほしい! と思える)ディテールのこまやかさが素敵です。
 教室で職場で街角で、すれちがい行き過ぎていく誰かの生活に、こんなヒミツやドキドキが隠れているのかも、そんなことを考えました。誰しも大声では話せない悩みや恋愛があって、それぞれに生活がある。誰かを好きになって、居場所をつくって、生活を切り開いていくのは素敵なことなんだなあ。誰かの生活を肯定することは、身の回りの家族や友人、ひいては自分の生活も愛しいと肯定していくことでしょう。
 橙はとても甲斐甲斐しい。小学生の頃からアパートで掃除をしたりごはんを作ったり、高校生になると仕事のアシスタントを始めます。青春を叔父さんに尽くしているようで、自分のために居場所や生き方を獲得していくのだなあと感じました。彼女が彼女として人生を生きのびるためにもがいて考えて、叔父との関係を選び取るということ。
 個人的にはセックスシーンがよかったです。歳の差ものの醍醐味、知識や経験を与えていく過程にドキドキしました。要のアパートは風呂なしで、橙があれこれ準備するところが可愛い。要が夢中になるさまも愛しく、結びつきを強くするコミュニケーションといった感じ。
 つまり誰かを好きになることは、自分を好きになることでもあるのでしょう。自分を肯定して生きていくために、心や身体を大切な人と開き合うこと。地に足のついた「元気」をもらいました。
タイトル羽化待ちの君
著者まるた曜子
価格400円
ジャンル恋愛
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夏のいのちは汗をかき、精を放つ。
 血や汗や精液、むわっとにおいが沸き立つ小説です。読むことが楽しくて気持ちよくて仕方なかった! にゃんしーさんの文章は前へ前へと進んでいく力があふれていて、お話と文章とのリズムが身体を高揚させるなあと思います。
 わたしは藤木と少年Hが取調室で全裸対決するシーンがいっとう好き。ひどいことがたくさん起きるのに、どろどろしているのに、たくさん血も流れるのに、夏水という土地にいってみたいと思ってしまうのはなぜなんだろう? 海祭りとか野球場とかコビールとかモクモクとか、どうしてか魅力的にうつるのです。登場人物たちもそう。実際に目の当たりにしたらけっこうこわい人たちかもしれない…でもどこかカラッと明るくてチャーミングなんだ。ひとってそういうものかもしれないなあなどと考えながら読みました。愛情と劣情と残酷を、ひとは同じ口や手足でやってのける。
 物語が進むにつれ、視点はどんどん変わってゆきます。舞台から去った人が心の奥底で何を考えていたのか、観客(読者)にはほんとうのところはわからない。物語は加速して、飛躍する。ああ、夏を生きてるんだなあ。暑い日に読んでムラムラしたい本です。
タイトル赤ちゃんのいないお腹からは夏の匂いがする
著者にゃんしー
価格500円
ジャンル純文学
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「僕」の視界を拾い補う
「僕は数取器をポケットに忍ばせて、「僕なんか死ねばいいのにね」の数を毎日カチカチと数えた。昨日は七十二回だった。」(「虚構」)
 ひりひりしている。しとしと降る晩に読みたい。自分の代わりに誰かが泣いてくれているみたいな夜半がいい。好きだった人たちのことを思い出しぎゅっとなる…、のはわたしの感傷によるもので、ほかのかたにどうかは知りません。
「ねえ、「君が死後の世界はあるらしいぜ」って務めて明るく言ったのはさ、僕が「老いぼれる前に一緒に死んで」って言ったことの答えですか?」(「ボーダー」)
 本作は9編の短編集です。エンターテイメントでも表現でもなく、作家自身の記憶のために書かれたもののように思えます。拾遺という題が象徴的、毎日からこぼれおちてゆくいろいろを、拾い補うように書かれた物語たち。
 鴻上尚史が「純文学とは物語の筋を必要としない」と語りました。「それゆえ読むのが難しい」と。この後半部分に異論を唱えたいのは、本作が弱ったこころやあたまにも自然に響いてくるからです。簡潔で削がれた(でもエクボがあるんだよなあ)齊藤さんの文章は、むしろ大きな物語に入っていけないときほど沁み入るように思えました。
 性と生きにくさが語られます。登場人物たちのかなしみは読者のわたしが抱えているものとは別で、かならずしも共感や経験をともないません。けれど「僕」の語る日々が個別具体的で「ノンフィクションでアンハッピーエンド」だからこそ、個人的な痛みに訴えかける普遍性を獲得しています。
「明日、お前が好きだったニラたっぷりの餃子と酒と煙草、そして大量の本を持っていくからどうか許してください。キュウリとナスを近所のスーパーで買って、いまさらだけど迎え火を焚くから、僕のところにも帰ってきてください。」(「東京、渋谷にて」)
 そのへんにいて、そのへんでうずくまり、そのへんでわめく誰かのことがアッサリとした筆致で差し出されている。それならば、ばかげた肉体でもって今日を明日をやりすごさねばならない自分を誰かの小説のようにめくってもいい。絶望と希望とは等しい。
タイトル拾遺
著者齊藤
価格300円
ジャンル純文学
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必然の水面
「文章を書いているとき「うまくなりたい」って思ったことは一切ない」、齊藤さんのつぶやきで印象的だったことばです。もっと切迫しているのだ、と。

「おとなになんかなりたくないね。きみに、こどものように無条件に甘えられたらいいのに。血縁関係になって仕舞えば僕のおこちゃま具合に言い訳が付く。いっそ扶養してくれないかな」(「羊の殉職」)
 お話の筋やキャラクターではない、理屈やテクニックでもない、本作が読者のこころを動かすのは文章の切実です。
 生きているうちにしぜんに身についてしまった筋肉とでもいいましょうか。勝手なこと言いますけど、日々のなかで嚥下した(せざるを得なかった)痛みや街やひとびとや本たちが、齊藤さんの文章をかたちづくっているように思えます。坂口安吾の言葉を借りれば「どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。」といった。

 本作は5編の短編集です。ハッキリ語られる箇所とそうでない箇所があり、そうっと耳をすますヴォリューム。これ以上語ったらべつのものになるし、もっと隠せば遺書でしょう。明確な着地はありませんが、雰囲気を楽しむだなんて言いたくないビター。
 「拾遺」の作品群とのつながりも垣間見え、作家が語るながいながい流れに足を浸す感覚です。水面は揺れ、淀み、わかれる。軋み惑う日々は、あどけないよろこびと往還する。「チーズの燻製」の、自分が使わないイヤリングやマニキュアを、本を読む恋人に勝手につけるシーンが好き。「会社員の彼が朝起きて手の爪についた濃い青を落としているとき、僕は襖のこちら側で背を向けることしかできなかった。」
 べつべつの作品集ですが、やはり「拾遺」「りんゑ」、あわせて読むことをすすめます。続き物というのもちょっとちがって、作家のことばを聴きたいから掘り下げたいのです。「さよならストレンジャー」をきいたうえで「アンテナ」をきく意味合い(くるりです)。

 上手く書こうとはしていないという文章は、しかし簡潔で読みやすくアソビがあります。そう言われたくないかもしんないですけど、美しい小説だと感じました。安西水丸の絵や高野文子の漫画を思い出します。作家の切迫が、読者にとっては祈りや楽しみに落とし込まれる。いい意味で作家のにおいが抑えられた、確かな筆致です。
タイトルりんゑ
著者齊藤
価格300円
ジャンル純文学
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行き過ぎる隊列
 音楽隊とは多くは野外を、演奏しながら行き過ぎる隊列です。それなら"文學隊"は? なるほど本作は、短歌と140字小説とが組んで列をつくっているように思えました。わたしたち読者の前を通過してゆく。わたしたちは歌を小説を、見送る。
 本作は短歌と140字小説が組になって並んでいます。短歌の情景を小説が解説している、というわけではないでしょう。歌と小説とは絡み合いますが、補うより並列、いっそ煙に巻いていくようでもあります。
 たとえば「目に見えぬ片仮名のもじ貼り付けて 僕がゐたよと白紙の証書」という歌があり、となりで小説は、「切り株を積みながら独りごちる。」とはじまるのです…。
 140字小説で頭に浮かぶのはツイッターです。たとえば#twnovelのタグで検索すると、ひとつのツイートにおさまる小説がさまざまつくられています(タグを用いると字数減りますが)。みじかい字数のなかで、ことばを研ぎ澄ますところ、抜くところ、作家の目と手があらわになります。そうしてほとんどはタイムラインを流れていってしまうから、ピンで留めるみたいにハートを投げる(投げられる)。
 齊藤さんの140字小説は、モチーフやことばが鮮烈です。主語や指示語を落としたり、ふいっと投げて終わったり、離着陸が心地よい。「溶けるのをあきらめたバターみたいだ」、「得体の知れない味のお酒が注がれる」など具体的な語に字数を割くいっぽう、ぶつんと回線を断つ。「横浜は動かないよ」。
 「僕」が見つめ、あきらめ、乞う「君」や「あなた」はどんな姿やにおいだろう。いかようにも捉えられます。短歌はBL読み、百合読みをすることもできるかもしれない。わたしは詩歌にあまり明るくないですが、詩的な飛躍やぶつかりについて、気ままにフカヨミするという楽しみかたがあってもいいのではないかなと思っています。たぶんそういう身勝手をゆるしてくれている本。
 個人的には、本作に限らず齊藤さんの作品は「東京」を意識させるなあと感じました。東京の街ですれちがう誰かは、それきりとどまらない。行き過ぎる影やにおいを見送るように、本作を味わいました。齊藤さんのツイッターで本作に収められたいくつかがのぞけますので、ぜひ読んでみてください。隊列は静かに過ぎ、ばらけ、記憶が刻まれます。
タイトル文學隊
著者齊藤
価格300円
ジャンル詩歌
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