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孤伏澤つたゐさんの推薦文一覧
足ることに挑む
 物語は、男女間の婚前の恋愛が認められず、同性間の関係(「ともだち」と呼ばれている)で、愛をおぼえてゆく新興宗教国家が舞台だ。主人公湖東全は男性の肉体を持っているが、「稚児」であるがゆえに男女が共に学ぶことのない国で、女子校舎に入れられる。ああこういう展開あるよなあ、とは思うのだ。だけど、その状況から容易に想像のつく、下品な展開には決してならない。
 周りが少女ばかりでは男性の肉体を持っている稚児は「ともだち」をつくれない(稚児は「ともだち」を持ってはいけないのだけれど)。稚児が国のものに崇拝されていることも作用して、全と少女らの関係は「エス」と言ってもいい、きわめて禁欲的なものになる。
 しかし、その立場はどこまでいっても「稚児」である。
 女子校舎に入れられ、男性という肉体の性を剥奪され、みずから選び取ったパートナーである「ともだち」ではない同性と強制的に肉体関係を結ばねばならない全は少女たちよりもずっと弱く苦しい立場にいる。
 男の肉体を持っている、ということが優位ではないのだ。

 ――この「国」では「不足」は美徳だ。足りていることよりも、足りていないことのほうがとうといという。
 その「不足」を体現させられているのが「稚児」なのだ。語弊をおそれずにいうのならば、現代の社会においては一種「足りている」つまり社会的にさだめられた優越種としての男性が、その優越を剥奪された状態。
 現代社会でかたられる「男性の肉体を持っている」ことが生存において絶対の優位でないことを物語ははっきりとえがきだす。
 ここでは、主人公の全の「稚児」という点についてしか触れることはできなかったが、他の登場人物らもまた、様々な形で「不足」と向きあっている。
 不足と折りあうことはない。だれもが苦しみ、どこへもいけず、とどまるようにして、不足と膠着しつづける。

 世界に生じたとき、だれもにあらかじめ設定されている肉体という枷の重みと、それにあらがいつづけること。男であろうと女であろうと、わたしたちの肉体はどこかで「不足」であることを。
 「不足」を抱えた生存への挑戦を、「ともだちの国」はかたる。
タイトルともだちの国
著者にゃんしー
価格600円
ジャンルJUNE
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約束の場所に咲く花の香と
 見つめることすらためらわれるようなうつくしい表紙をひらき、繊細に紡がれてゆく言葉のひとつひとつをひろう行為もおそるおそるだった。草葉の隙間から咲き誇る花を覗き込むようにしてしか物語をひもとけない。しげみをかきわけるような無粋をしてしまえば、花は散ってしまうだろう。そんな緊張感でもって、四篇の物語として切りとられた瞬間の永遠を、細心の注意をはらってページをくってゆく。ふれれば壊れてしまいそうな、という言葉がまったくもってふさわしい短篇集だ。

 なんの本だったか、おさないころに読んだ本で、タイトルを思い出すこともできないが、そこにあった「花うずみ」という言葉だけをおぼえている。地面に穴を掘って、花を入れ、ガラス片で蓋をして埋めなおす。そうすると地中でその花は、永遠に咲きつづけるのだという。
 この本を読んだとき、真っ先に、その「花うずみ」を思い出した。
 はかなく壊れやすい恋や、少年たちの一瞬や、少女たちの決して永遠にはなりきらない関係を、自分だけのたからものとしてそうっと隠す。
 誰のためでもなく咲いた花を、すこしの我欲と、花へのあこがれを込めて永遠に咲きつづけますようにと祈りながら。

「蓮は蕾が開くとき音を出すんだ。なんとも言えない清らかな音を発するそうだよ」
「蓮の音を聞くまでは、一緒にいてもいいよ」

「くちなしの花はね、天国に咲くのよ」

 蓮の蕾が開くとき音をたてるのかを私は知らない、そして、くちなしが天国で咲き誇っているのかも。
 けれど、その遠くまだたどり着いたことのない約束の地でかれらが咲いているということを、信じることと祈ることはできるのだ。
 ガラス片に花を閉じ込めるように本を閉じる。ものがたりにえがかれた一瞬が永遠にみずみずしくありますようにと願う。

 ――そしていつか、もういちど、この本を開くとき、ささやかな願いの成就されていることを、きっとわたしは発見する。
タイトルキスとレモネード
著者彩村菊乃
価格500円
ジャンル純文学
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一巻では足りない!
 この本は、昨年の文学フリマ東京の会場で手に入れて真っ先に読んだ。
 夢中になって読んで、スペースに来てくれたお客さんへの返答もおろそかになって、「すみません」と声をかけられるまで没頭してしまっていた。
 朝雛きょうだいと白鳥さん(なぜか白鳥さんは白鳥さんと呼びたい)の、ちょっとむずかゆい三角関係。きっとキヨムさんだから、落ち着くべきところに落ち着かせてくれるはず…そういう信用はあるのに、「白鳥さん…!だめだよ、白鳥さん!」って服の袖をひっぱりたくなるような危なっかしさ。

 その危なっかしさは、口下手というか無口というか、あまりおしゃべりの得意でなさそうな朝雛雅人くんにこんなことを言わせてしまうほど。

「あんたが、まだ、自分が全部自分のものだと思ってるなら、認識を改めたほうがいい。あんたには、今、自分の意思で勝手にできないことがある。あんたなりに俺を大切にして、俺に心配をかけるようなことをしてはだめだ」

 夜の研究室・媚薬・ショタ、そして現実にすこしだけ混じりこむ、怪異のような「ひとにちかいけれどよくよく考えたら人じゃないよな?」っていう登場人物。
 夢中になって時間を忘れて、本を閉じてから「もっと読みたい! こんなところで終わらせるなんてご無体だわ…!」と身もだえしてしまう、そしてその悶絶を誰かと共有したくなる本なのです。
 絶対おすすめ!!
タイトルよくないおしらせ
著者壬生キヨム
価格800円
ジャンルJUNE
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来るべき日のための魔法使いとその弟子カタログ!
 ファンタジー小説を読んでいると「どうして私のいる世界はこんなにもつまらない世界なんだろう。この世界に行けたらいいのに」と思ってしまうことがよくある。どこへ行ったところで、私は私でしかなく、世界を救う勇者になるだけの根性も力もないし、かれに物語を揺るがすような助言ができるような思慮深く知性にあふれた魔法使いになれるはずもない。きっと地図に名前も載らないような片田舎で、魔王や竜の脅威を風のうわさで聞いておびえるくらいの、「なにもおこらない場所」で拾い仕事をして、「何物にもなれずに」買いたい本も買えずに読めずに毎日を過ごすんだろうな、っていうことは、深く考えなくてもたどり着ける結論なのに。
 でも、きっとそんな何も起こらない場所で、なにものにもなれないわたしは、夢に見るんだと思う。
 ある日、深夜、家の戸が叩かれて、魔法使いが訪ねてくることを。そしてその魔法使いが、「おまえを弟子にすることにきめた」と強引に「その現実」から連れ出してくれることを。

 『カケラvol.01』は、「魔法使いの弟子」をテーマにした小さな小説や漫画、イラストを集めたアンソロジーだ。
 この本に登場する「魔法使いの弟子」たちは、八作それぞれにみんなちがう。魔法使いになるつもりもなく、いきなり弟子入りすることが決まってしまったものもいれば、最初から師匠を大魔法使いだと知っている弟子もいる。住んでいるのがわたしの棲んでいる世界と地続きの現実世界の人もいれば、少しだけ異世界と重なった世界や、ここではない知らない世界で生活する人。弟子になるきっかけも、いい弟子なのか落ちこぼれなのかそんなところまで全くちがう。
 この八つの物語に共通していることは「魔法使いの弟子」であるということだけ。
 それは、「魔法使いの弟子になれる可能性」が八つあるってことじゃないですか。
 こんな世界なら、師匠なら、弟子なら、私もやっていけるかもしれない。そういう夢を、希望を抱けるということ。
 わたしはこの本を、異世界・魔法使いカタログとして読んだ。どんな異世界に生きたくて、どんな師匠がほしくて、どんな弟子にならなれるか……そういうことを、考えて検討して、来るべき日のために心の準備をするのだ。
 「こんな私じゃ、魔法使いになんてなれない」そう思うのは簡単だけど、私が生きている限り、可能性はゼロじゃない。
タイトルカケラ vol.01
著者泡野瑤子、かんじ、小田島静流、琉桔真緒、都岬美矢、伊崎美悦、孤伏澤つたゐ、KaL
価格400円
ジャンルファンタジー
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愛したいと望むことと、愛されたいと望むことは、とても遠くにある
 外面に、内面に欠損を抱える「にていない」きょうだいの物語。静かな語り口はそれこそブルー・ライトで照らされる水槽の中をのぞきこんでいるような、透明で硬質な隔たりの向こうにうつっている映像を、もどかしく思いながら見ているような気持だった。

 「誰も愛さないで・誰ともかかわらないで」ただひっそりと存在し生存している神無がいとおしい。
 きょうだいのなかで、上の子、というのは、常に自分の欠陥を恐れているものだ、と私は思う。生まれてきただけでありがたがられていたはずの自分自身、ただそこに「ある」だけで愛されるに足る存在だった己を知っているがゆえに、次に何かが生まれてきたとき、本当は自分は足りぬ存在で、たった一個しかなかったがゆえに愛されていたのだということを自動的に知り、あきらめてゆかねばならない生き物だと。
 神無、という名は象徴的だ。「神などなくとも強く生きられるように」というその名づけは、はじめから、神を欠いている。自分が、誰からも無条件で愛される存在ではない、ということをはっきりと知らしめられてある名だ、と。神無は、神でなく、神を持たぬゆえに人間にも足りぬ存在なのかもしれない。

 それに対比するように、みなに愛されて「天使のよう」とまで言われる晶馬は神無の愛に飢えている。それは「餓(かつ)え」とも表現できるくらい乱暴だ。夜中に、神無の寝室に忍び込み、その携帯電話の着信履歴とアドレス帳を執拗に確認する行為は、晶馬にとっては精神安定剤であるけれど、わたしの目にはすこし狂気的に映った。
 小さな水槽のような「家庭」のなかで、領域侵犯のような甘えを繰り返して、晶馬はその神無の愛情を確かめ、試し、要求する。引きずり出そうとする。それは時に幼稚であり、時に巧妙で狡猾で、愛されたいという望みはこんなにも暴力的なものなのか、と恐怖すら抱いてしまう。

 愛することと、愛されることはとても近くにあるように思うのに、愛したいと望むことと、愛されたいと望むことは、とても遠くにある。

 新しく生まれなおした晶馬と神無が、これから築く愛のかたちが、寄り添いあってゆけるものなのかそうでないものなのか。二人が深海のように閉塞された楽園を築けることを、祈りたいと思った。
タイトルBBHHH
著者森瀬ユウ
価格700円
ジャンル純文学
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可能性を着脱する
 メタルの翼で夜を飛ぶ少女たちの物語。
 人間の無責任で無邪気な「空を飛びたい」という願望を、ひとつずつものがたりに落とし込んで解体し複数の掌編は、絡み合い折り重なりあって大きな物語の影を立ち上らせる。

 「空を飛ぶこと」は人間が進化の過程で切り捨てた可能性だ。人間はその「可能性」に気づくくらいに進化してしまった。知恵を、得てしまったのだ。そして、その知恵ゆえに、肉体を進化・変化させるのでなく、乗り物や後付けのパーツで拡張して「進化」せずとも新しい可能を手に入れた。
 物語の登場人物は、着脱が可能になった人間の姿をまざまざと見せつける。それは身体の生き物としての適合を無視していて、あきらかな弊害が生じてくるものなのに。
 それでも、人間は求めることをやめない。哀れで、罪深いと思う。

 最終章「光のこうざい」、すべてをこどもらに丸投げしてしまうことが、進化でない発達を遂げた人類の功罪の、極みにまで行き着いた無邪気の邪悪と可能性への無責任な期待の重さと言ったら。
 文明への静かな反論を見る気持ちでいる。

 最後に、『輝く瞳に夜の色』のときも感じたが、木村さんの文体や描写は平時の場面ですら鬼気迫るものがあり、文字を追う目が、気づけば物語世界を映像として受け取っていることに気づく。ページを繰るのではない、ただ、私は、彼女らの飛ぶ夜を、その静謐な空気として受け取っているのだ。
タイトルこの夜が明けたら
著者木村凌和
価格200円
ジャンルファンタジー
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物語から解放される
 「グリゼット、君は結末のない物語に価値がないと思うかね」 (中略)「それでも、途中の部分がそれはそれは面白い。だから儂は、物語の結末には一般に言われているほどの価値はないのではないかと考えている。結末などなくとも、物語は途中の部分にこそ意味があるのだ」

 並木陽、と言えばまっさきに『斜陽の国のルスダン』や『ノーサンブリア物語』などの歴史上の女傑や群雄割拠の時代の動乱をえがく人、という印象が思い浮かぶだろう。
 だが、この『青い幻燈』は、そういった歴史の物語ではない。
 時は十九世紀パリ、ラテン区。登場人物は、画家、詩人、先生、名前のないお針子少女、それから孤独という名の男。十九世紀のパリの薄暗い華々しさと、(今は売れない)画家や詩人という登場人物。
 読み手は画家か詩人のどちらかが名声を得たり、お針子娘と結ばれたり、という「物語」を無邪気に期待する。だが、詩人も画家も、自費出版した詩集を売り込もうと粉骨砕身したり、自らの血を絵具にしたような絵でコンクールに挑んだり、そんなことはしない。彼らはただおしゃべりをしたり、街を歩いたり。何でもない日常が描かれる。
 『青い幻燈』の登場人物はルスダンやアクハのように、物語の主人公として語られるべき歴史を持たぬ人々だ。彼らは、「物語にはなれない人たち」と言い切ってしまってもいい。
 その、物語にはなれない人たちを描き出す筆致の真摯さと、編纂能力は、さながら幻燈のように「物語」を描き出す。彼らは物語に「なれない」のではなく、劇的な語りだしも結末も必要としない、「めでたしめでたし」からは解放された人たちなのだということを、雄弁に語る。
 なにものかになること、物語の主人公になること、そういった義務や責任から、彼らは解放されている。

 作中で、もう一つ印象的な一文がある。
「グリゼットこそは、貧しくともこの世でもっとも自由な女だから」
 『青い幻燈』この物語は、物語を語ること・読むことから、登場人物が、そして畢竟、読者が、始点と終点を必要とする物語の義務と責任から自由になるための書物だと、私は思った。
タイトル青い幻燈
著者並木 陽
価格500円
ジャンル大衆小説
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