2011年3月26日のひみつ日記A面


by yuraly


朗読とは何なのでしょうそしてあのテキストを手元に置きながら音読をする意味は? というようなをかべさんの疑問に答うるべく、わたしも懸命に、あの紙きれをひらひら持って朗読する周囲のひとたちのことを考えてみました。

家人のにゃんしーの場合、彼はテキストの紙を持たずに音楽をお腹のスピーカからポコポコ鳴らしながら歌い踊るわけでして、それは確かにパフォーマンスではあるが朗読詩人という範疇からは逸脱していると云われても仕方があるまい。読み終えた紙をいかにも情感ありげにひらりぱらりと落としていく朗読系詩人あれは何なのだ、と思っていた矢先、野田秀樹のNODA MAPで上演された「走れメルス」のなかの科白を思い出した。

『これ、あたしの!』という気持ちが強ければ強いほど、落ちているものは『あたしの』ものになるんだ」

 正しい引用ではないが、兎に角この場面で大事なのは「あたしの!!!!」と吠える迫力なのであった。

 この『あたしの!!!』という迫力を無意識に周りに及ぼそうとする感情が、朗読者の持つペーパではないだろうか? これ、あたしの!!! あたしの書いたテキスト!!! だからあたしが読むのよ!!! あたしの! 書いた! テキスト!!


 こういう結論に落ち着いたわたしとしては、朗読者というものはアイデンティティにいつも不安を感じているものだよなあ、という哀愁を感じながら次回LIVEで読むテキストを、作っているのであった。